フレックス・メンデルスゾーン・バルトルディ:管楽のための序曲ハ長調 作品24
Felix Mendelssoohn Bartholdy :Overture fur Harmoniemusik in C dur op.24
メンデルスゾーン(1809-1847)はモーツアルト(1756-1791)と同じように幼少時から演奏や作曲を披露する才能あふれる神童と言われていました。代表作にはメンコンと呼ばれ親しまれる「ヴァイオリン協奏曲」やピアノ曲「無言歌」あります。また管弦楽曲では「夏の夜の夢」「フィンガルの洞窟」そして交響曲第3番「スコットランド」4番「イタリア」が人気があります。
生地ハンブルクから移動したベルリンの生活は、音楽的環境に非常に恵まれていました。自宅サロンには、当時の著名な文化人が良く招かれて集まっていました。その家庭の様子は「ヨーロッパが彼らの居間にやって来る」と言われたほどです。そして両親が組織する私設の管弦楽団のために、12歳から14歳の間に12曲の「弦楽のための交響曲」を書いています。15歳になると管弦楽編成の「交響曲第1番」を書き上げました。そして名曲「夏の夜の夢」序曲は16歳の時の作品です。あまりの早熟な音楽経歴ですが、12歳頃の肖像画を見るとその美少年ぶりに再度驚きです。
神童フェリックス君の音楽の礎になっているのは、大叔母ザラ・レヴィの存在があるとされています。ザラは大バッハの息子W.F.バッハに師事した鍵盤楽器奏者でバッハの楽譜研究家でした。ザラはバッハ「マタイ受難曲」の写譜スコアを彼の14歳のクリスマスプレゼントとして贈ります。神童フェリックスは、このスコアを大切に研究し、20歳の時にベルリンにてマタイ受難曲の公開演奏会を行いました。これはバッハ死後一世紀あまりも忘れられ演奏されていなかった名曲の復活となる偉業でした。
さて、メンデルスゾーン家は父が銀行家で、大叔母や姉は鍵盤楽器奏者という恵まれた環境でしたが、夏の避暑旅行の温泉場で初めて耳にした管楽の編成と音楽に大変に興味を抱きました。帰宅してから同じ編成ですぐさま書き上げた曲が、今回演奏する序曲です。交響曲1番と同じ15歳の作品です。モーツアルトもドイツ旅行中にマンハイムでクラリネットの音に初めて出会い魅了された記録があります。 序曲ハ長調は、モーツァルトのセレナーデ10番(13管楽器によるセレナーデ)と同様に純音楽としての管楽合奏の貴重な作品です。
原曲版スコア
原曲スコアでは現在一般に使われなくなった時代楽器(古楽器)があります。
Clarinetti in F, ヘ長調クラリネットClarinetti in C,ハ長調クラリネットCorni di Bassett バセットCorno Basso (Ophicleide)オフィクレイドこれらは現在では順にE♭Clarinet、B. Clarinet、Bassett horn or Alto Clarinet、Tenor tuba or Eurphoniumで演奏します。また原曲は24人編成です。時代楽器による演奏の特徴は、現代の進化した楽器では出せない素朴な音質、ニュアンス、音量にあります。これを正確に再現するには木管、金管、打楽器すべてを時代楽器で揃えなければなりません。また演奏会場は木造建築で100~200席が理想でしょう。
本日使用楽譜は、Felix Greissleによる吹奏楽版ですが、さらに私が手を加えた形で演奏いたします。若干15歳の作品は若さに溢れた瑞々しさとバロック、古典音楽を充分に踏襲した音楽として現代に蘇ります。
グスタフ・ホルスト:吹奏楽のための第1組曲変ホ長調/吹奏楽のための第2組曲へ長調
Guatav Holst : First Suite in E♭for Millitary Band op.28 no.1/Second Suite in F for Millitary Band op.28 no.2
20世紀初頭のイギリス軍楽隊におけるレパートリーはファンファーレや行進曲、管弦楽曲の編曲などに限られていました。そこで1909年に陸軍音楽学校の司令官から自国の作曲家による質の高い楽曲の要望がありました。当時ホルスト(1874-1934)はトロンボーン奏者としてオーケストラや市民吹奏楽団で活動していたことから、吹奏楽に興味があったため作曲を行ったと言われています。
さて、この二つの組曲の自筆譜の所在が1970年まで不明であった為、今日まで様々な版が存在しています。クラシック名曲といわれるものでは、原典版、校訂版など同じ曲でも数種類の楽譜が存在すること多々ありますが、吹奏楽一番の名曲もそうであったわけです。
1.自筆譜。1970年まで不明。現在大英博物館所蔵。
2.1921年版:コンデンススコアとパート譜のみ。フルスコア無し。
3.1948年版:アメリカスクールバンド用に編成が拡大される。アルトクラリネット、フリューゲルホルンが追加された。バリトン(金管)が省かれる。
4.1984年版:イギリス作曲家ホルスト研究家コリン・マシューズによる校訂版。アーティケレーションの見直しがされたが、自筆譜に無いバリトンサックス、バスサックスが追加される。ホルストの娘イモンジュ(指揮者)も参与。マシューズはホルストの代表作「惑星」の追加曲として冥王星(1930年に発見されたが、2006年に準惑星に変更)を作曲している。
5.2005年版:吹奏楽の巨匠フレデリック・フェネルの解釈を基にしたLudwig社版。ホルスト組曲の演奏とレコーデイングは最多であり、独自の演奏解釈(アーティケレーションの付加)から、ホルスト作品をこよなく愛する姿勢が伝わる。
6.2013年版:日本人作曲家、伊藤康英氏による原典復刻版。大英博物館所蔵の自筆譜を基に今までの経緯を踏襲し、新たな楽譜(第2組曲に未公表だったMarchを追加)を揃えた校訂版。
今回の演奏は4~6版を参考にしていますが、特に私が共演経験した生前のフレデリック・フェネル指揮での実演奏によるところが大きいです。
First Suiteの魅力は、その見事な主題の展開手法です。1楽章冒頭のシャコンヌのテーマは16回繰り返されますが、その一つ一つは見事な変化を展開します。このテーマは2楽章インテルメツォへ継承され、軽快で快活な新たな音楽として生まれ変わります。さらに3楽章Marchでは、主題音形の提示から伝統的なブリティシュスタイルバンドへ展開し、中間部の威風堂々とした愛国歌を彷彿とさせる旋律に発展し、さらに壮大な終結へ導きます。シャコンヌにおける主題の展開を印象付けるために全楽章休みなしで続けて演奏することが、指示されています。
Second Suiteの魅力は、全てイギリス民謡からできている事です。2歳年上だった最も親しい作曲家ヴォーン・ウィリアムス(イギリス民謡組曲、グリーンスリーブス幻想曲などが有名)の強い影響で、自国の民謡を収集して作曲したのです。これは後の吹奏楽作曲のお手本となりました。ゴードン・ジェイコブ(ウィリアムバード組曲)やP.グレインジャー(リンカーシャの花束)などに継承されました。
1.March 舞曲(Morris Dance)と4つの民謡からできている。1.Glory Shears、2.Blue eyed stranger, 3.SwanseaTown,(歌詞参照) 4.Claudy Banks。
2.無言歌 Song without Words ‘I’ll Love My Love’ 結婚を反対された少女の、理不尽を悲しむ恋歌 。
3.鍛冶屋の歌 The Song of Blacksmith 元気な鍛冶屋の歌。男声コーラス「6つの民謡合唱曲」にSwansea Town, I’ll Love My Love とともに含まれている。
4.ダーガーソンによる幻想曲 ‘Fantasia in the ‘Dargason’ ダーガーソンという古い循環旋律(26回反復)とイングランド民謡グリーンスリーブスを感動的に重ねた曲。後に弦楽合奏曲(セントポール組曲)として単曲で発表した本人お気に入りの曲。
6つの民謡合唱曲から歌詞を抜粋
Swansea Town ああ元気でいておくれ僕のナンシー 何度も何度もさよならを言うよ 僕は海原をまた越えていく 愛しているのは君だけだだ 希望はすてない 懐かしのスワンシータウンに帰ってくるよ
I Love My Love 戸外を歩く春の夕暮れ 病棟からは 少女の悲しい声 手を鎖に繋がれて、こう言ったのだった 「あの人を愛しているわ だって私はわかるの あの人が私を愛していること」
The Song of Blacksmith 鍛冶屋がわたしに声をかけてきた 9か月もよ 彼は私のハートに勝ったの 手紙を書いてきた 手には金づち 力強く巧みに 体中に火花をちらして
ショスタコーヴィチ:ステージオーケストラのための組曲から March WaltzⅡ DanceⅠ
Dmitri Shostakovichi:Suite of Variety Stage Orchestra
20世紀ロシアを代表する作曲家の一人ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、15の交響曲や歌劇、バレエ、映画などに作品を残しています。若いころからその音楽的才能をいかして、早い時期から作曲、演奏活動を行っていました。勤労学生のころは映画館のスクリーンに合わせてピアノを即興で弾く仕事など生活のために行っていた事もあります。彼の回顧録(ショスタコーヴィチの証言)には、ロシア音楽を支えていた大作曲家グラズノフやリムスキー・コルサコフ、そしてストラヴィンスキーまた同期だったプロコフィエフなどが出てきますが、コルサコフ以外は自由を求めて亡命しています。当時のロシア政府はスターリンによる共産・社会主義(恐怖政治や全体主義)のため芸術文化にも厳しい規制がありました。特に西側で流行っていた前衛芸術は批判の的でした。18歳で書いた交響曲第1番の成功で若くしてその才能が認められていたショスタコーヴィチでしたが、つにに30歳の時に発表した「ムツェンスクのマクベス夫人」楽劇が前衛的だと政府機関の厳しい批判にさらされます。この楽劇はスターリン死去するまで上演できず、また同時期に書いた交響曲第4番は同じ運命をたどりました。この事件から体制に認められる作曲活動になるのですが、ショスタコーヴィチの凄い所は一見ロシア政府を称賛しているようでいて、その音楽的内容は奥深く意味深く、実はその逆を訴えるという、天才作曲家のなせる業で第5番以降の交響曲を発表しました。社会主義ロシアが起こした数々の革命戦争による犠牲者への鎮魂歌を書くことが、彼の音楽家としての使命だったのです。「私の交響曲は墓標である」(回顧録より)
さて、20世紀初頭のヨーロッパ音楽は、フランスパリがその栄華を誇っていましたがそういった西側の文化に敏感だったのはロシアの若き作曲家も同様です。そこにはアメリカの作曲家ガーシュインによるJazzを取り入れた魅力的な新しい音楽が流行っていました。ラヴェルやストラヴィンスキーもガーシュインに強く影響されています。ロシアでの大衆音楽(ミュージックホール、ダンスホールなどの娯楽音楽)についても、政府機関が干渉するのでショスタコーヴィチは、お手本になるような音楽を書くことになります。本来のジャズの要素としてのシンコペーション、ブルーノート、スイングは使わずに書かれました。マーチやポルカの様な形式です。当時の社会主義国家における粛清の日常に、幸せで明るい希望を感じることのできるように書かれたのでしょう。コロナ禍で疲弊した社会にも必要ですね!ショスタコーヴィチ様ありがとう♡
Jazz組曲2番は、全8曲からなる組曲ですが、今夜はその中からMarch、WaltzⅡ、DanceⅠの三曲を演奏いたします。オリジナルでは、アコーディオン、ピアノを使用しますが、本日は吹奏楽だけの編成版になります。